2014年2月9日日曜日

第十一幕 戦場のピアニスト

戦場のピアニスト(2002年)は、ポーランドでのユダヤ人迫害に材をとった映画。
ユダヤ系ポーランド人のポランスキー監督がメガホンを取り、カンヌ映画祭最高賞パルムドール、米アカデミー賞で監督賞、脚色賞、主演男優賞の3部門受賞。

主人公のピアニスト、ウワディク・スピルマンは実在の人物。
管弦楽から大衆音楽までを手がけたポーランド人にはおなじみの音楽家です。ちなみに彼の子息は、日本の大学で教鞭をとっています。



本作品では、ホロコーストの嵐が吹き荒れる第二次大戦中のポーランドで、スピルマンが迫害と戦火を逃れて生き抜くさまを描きます。ポランスキー監督自身も、命からがらナチスの手から逃れたそう。母親はアウシュビッツで命を奪われたといいます。 目を奪れるのは、ナチスの迫害の凄惨さ。目を背けたくなるシーンの連続です。
冒頭、ラジオ局で収録演奏をしていたスピルマンは、突如としてドイツ軍の爆撃にあいます。
跡形もなく破壊されたスタジオ。それは、スピルマンたちポーランドのユダヤ人に降りかかる苦難の始まりにすぎませんでした。ポーランドに侵攻したナチスは、ユダヤ系の市民を一人残らず探しだします。彼らはユダヤ人の居住区「ゲットー」に押し込められるのです。

戦時中でただでさえ物資が不足した時代。
社会から隔離されたゲットーで、スピルマンたち多くのユダヤ人たちが生活難に陥ります。スピルマンもカフェの演奏でどうにか生計を立てていましたが、さらなる苦難が襲うのです。ナチスによる強制収容所への移送でした。 スピルマンの一家も、収容所行きの列車に引き立てられていきます。
ところが彼一人だけが一命をとりとめるのです。偶然にも居合わせた旧知の警察署長の機転で、列車を待つ列からつまみ出されたのです。 こうして再びゲットーに戻ったスピルマン。

列車から離れていくスピルマンとは対照的に、家族は収容所送りにされてしまいます。
ここでスピルマンが、家族の命乞いをしたり、あるいは家族と運命をともにするなどといえば、感動的なのでしょうが、彼はそれ以上の行動をとろうとはしません。
また引き離されていく家族も、彼に恨めしい視線を送るわけでもありません。
せめて彼一人が生き延びることができるなら。この世から消えて行く自分たちのの運命を悟った上でのことだたのでしょう。

ところが、彼には安寧は訪れません。ここからスピルマンは隠れ家を点々とする生活を送ることになるのです。音楽家として知り合ったポーランド人にかくまれたものの、隣人に何度も発見されて逃亡を余儀なくされます。
その後に頼みにした反ナチスのレジスタンス活動家は、ワルシャワ蜂起を起こすものの失敗。彼らはむごたらしく殺されてしまいます。

ポーランドに迫っていたソ連軍が、この蜂起と連携すれば成功した可能性もありました。
ところが、ロンドンにあったポーランド亡命政府は自由主義陣営寄り。ソ連とは家でイデオロギー的に相容れない関係でした。

こうしてスピルマンが逃亡を繰り返すうち、首都ワルシャワは廃墟と化してしまいます。
彼は廃墟の病院に一人身を潜めます。 このまま戦争が終わるまでやり過ごせそうに思えたある夜のことでした。

こぼれ落ちた缶詰に手を伸ばしたスピルマンの目の前に、一人の男の姿が。
それはほかでもない。スピルマンたちユダヤ人を追い回してきたナチスの将校だったのです。

スピルマンの命は風前の灯。
しかし、どのような運命のいたずらか、スピルマンに一筋の光が差します。
将校は片隅の古ぼけたピアノを無言で指差すのです。演奏でピアニストであることを証明せよ、と。
スピルマンは将校一人だけを聴衆に、一世一代の演奏をみせます。もし下手をしでかせば、ピストルで打ち抜かれるだけという絶体絶命の危機。忘れかけていた鍵盤の感触を確かめるように、スピルマンは無心で音色を奏でるのです。

この演奏に心打たれた将校は、スピルマンを見逃します。
それどころか、食料を分けてやりさえしたのです。

そして、スピルマンが待ちに待った終戦を迎えます。
周囲にはユダヤ人はもちろんのこと、ワルシャワ市民の姿すら見当たりません。

奇跡的にナチスの迫害と戦乱を生き抜いたスピルマンが見たのは、ソ連軍の捕虜となったナチス将兵の姿。
鉄条網の向こう側には、スピルマンにも顔なじみの捕虜の姿がありました。そう。彼の命を救った将校でした。
スピルマンに命乞いをする将校。しかし、彼はその場を立ち去ってしまいます。
なぜ助けなかったのか。その真意はわかりません。

この後、ポーランドの国民的音楽家として名声を得るスピルマン。
しかしながら、本作品で描かれる彼の姿は徹底して受動的です。蜂起する同胞たちをよそに、大戦中も支援者の隠れ家を点々とするだけ。さらには誰かに救いの手を差し伸べることもしません。

彼の姿は、ナチスに運命をもてあそばれたユダヤ人を象徴しているともいえます。
ポランスキー監督はスピルマンの姿を通して、自身の静かな怒り、鎮魂の思いを込めたのかもしれません。

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